マンチェスター科学博物館

The Museum of Science and Industry in Mancester


 マンチェスターは、外港のリバプールと組んで英国の重工業の中心地であり、世界の産業革命発祥の地である。
 この『マンチェスターの科学と産業博物館』は、ロンドンの科学博物館に比べたら規模は遥かに小さいが、どちらかと言うと科学より地場中心の産業に 重点が置かれている。建物は大きく二つに分かれていて、産業革命から20世紀半ばまでの機械類ガ展示している館と、航空機館からなっている。
 航空機館にはこの博物館ならではという機体が並んでいて唸らせるが、物凄く狭く写真を撮るとなるとに引ききれないで全景を撮るのは難しいし、 他の物が矢鱈一緒に写りこんでくる。

 真ん中のクラシックな建物が、産業機械展示の本館正面。




マンチェスター科学博物館 小目次

 地上設置型蒸気機関  アブロ・シャックルトン  ライトニング  桜花  航空機用エンジン 


地上設置型蒸気機関



 蒸気機関を動力として列車を牽引する蒸気機関車はお馴染みであるが、これは地上据付型の蒸気機関である。
 地上据付型の蒸気機関は現代でも発電用としての主力で、火力発電所や原子力発電所で使われているが、それは蒸気で羽根車を回して 動力を得る『蒸気タービン=回転型蒸気機関』であり、ここにあるのは蒸気機関車と同じ『蒸気ピストンエンジン=往復型蒸気機関』である。

 地上設置往復型蒸気機関の実際の姿を見る機会というのは滅多に無いが、ここではそれが動態保存されていて 目の前で動いているところを見ることができる。
 写真右の蒸気機関は只今運転中。白衣の人物はオペレーター(若い女性)。 並列のピストンの向かって左側は直径が小さい高圧用ピストンシリンダー、右は直径が大きい低圧用ピストンシリンダーで、 コネクティングロッドを介して共通のフライホイール(はずみ車=この写真では、画面奥側にあってよく判らない)を回す。
 屋内設置である為、蒸気機関車と違って無闇と蒸気を捨てられないので、高圧側ピストン/低圧側ピストンと二度のお勤めをした蒸気は配管で復水器 (ここには見えない)で水に戻され(やはりここでは別棟にある)ボイラーに送られる。 シリンダー周辺のややこしい配管とロッド類は回転数制御の為のもので、基本は遠心力によって回転する錘の 位置を一定に保つ事で自動的に回転数を一定に保つ事が出来る。パイプとロッドはその錘位置を検出し、シリンダーに送る蒸気の量を制御する仕掛けである。 もちろんエレクトロニクス回路など一切無い。

 この蒸気機関は、なんと1960年代までマンチェスター近郊の紡績工場の動力として働いていたのだそうである。紡績工場の動力としてならそれ程問題にならないが、 発電機の動力として用いた場合、回転ムラはまともに電圧変動になる為、電灯のちらつきの原因となったと説明板にあった。 回転ムラは機械としての基本精度を上げ、フライホイールの質量で平均化するしかなく、往復型蒸気機関の泣き所であった。
 現代の発電用風車が回転速度は一定でなく回転ムラも大きいのに実用に耐えるのは直流/(周波数込みでの)交流変換技術、 高性能蓄電池など電気エネルギーにしてからの制御技術の進歩の賜物である。


アブロ・シャックルトン対潜哨戒機



 アブロ社はマンチェスターにあるので、これはマンチェスター地場産業の製品である。前身はドレスデン空襲などドイツの都市への夜間爆撃で悪逆の 限りを尽くした大戦中のアブロ・ランカスター四発重爆撃機である。
 地元アブロ社には当然アブロ・マンチェスターという飛行機もあった。ランカスターのさらに前身の一見双発分類上は四発爆撃機で、 V型12気筒ロールス・ロイス・ケストレル・エンジンを2基組み合わせたX型24気筒のロールス・ロイス・ヴァルチャーという革命的 エンジンを積んでいたが、革命的過ぎて故障が絶えず、マンチェスターを装備した第97爆撃機飛行中隊は第97爆撃機歩兵中隊と揶揄されるほど 地上に貼り付いていた。
 マンチェスターと同じ一見双発分類上は四発爆撃機というのは同時代のドイツにもあって、ハインケル・グライフは ダイムラー・ベンツDB610という、DB605倒立V型12気筒エンジンを倒立のまま2基組み合わせたという強引なエンジンを積んだ4発爆撃機であった。 しかし、このエンジンも内側に並んだ気筒列の排気管の取り回しの関係で、冷却が問題、というか実際には不可能で、グライフはオーバーヒートに悩まされ、英仏海峡の横断さえ危うい失敗作であった。

 ランカスターはエンジンをロールス・ロイスの名エンジンであるマーリンに換装し、4基のエンジンをそれぞれに独立したナセルに収めて並べて正統4発とした 型で、巨大な爆弾倉を持つ凶悪な爆撃機であった。ただ、米軍のB-17に比べると防御力が 弱い為、ドイツ戦闘機の迎撃や対空砲火による損害確率が大きい昼間の出撃は避け、夜間出撃に専念した。
 ランカスター発展型での最初の哨戒機はアブロ・リンカーンで、シャックルトンはマンチェスター -- ランカスター -- リンカーン(哨戒機)と発展してきた最終型であり、 実に1990年まで現役であった。
 マンチェスターは生まれ故郷の都市名、ランカスター、リンカーンはイングランドの地方名(県名)からであろうが、シャクルトンは冬の南極海で 乗船エンデュアランス号を失いながら強固なリーダーシップと指揮官先頭の行動力で全員の生還を果たした英雄 サー・アーネスト・ヘンリー・シャックルトンからである。

 エンジンはロールス・ロイス・グリフォン57A(連続出力1740馬力、戦闘出力1990馬力、離昇出力、水メタノール噴射で2440馬力)で デハビランド・ハイドロマチック三枚羽根(三翔)の直径3.96mのコントラペラ(二重反転プロペラ)を回す。 乗組員特にコックピット乗員にとって、すぐ脇で回るコントラペラの聞き慣れない独特の騒音を時には24時間に及ぶ哨戒任務飛行中聞かされるの が悩みの種であったという。
 上右写真はそのコントラペラ。コントラペラは、マッキ・カストルディMC72水上競速機、グリフォン搭載のスピットファイヤーや旧ソ連の大型ターボプロップ爆撃機の 例があるが、映画『スカイ・クロラ』では登場機体の殆どがコントラペラを装備していた。大馬力エンジンの出力をプロペラ枚数や直径を極端に増やす事無く 吸収する事とプロペラ反動による機体の悪い運動癖を無くす目的で使われる。
 プロペラのすぐ背後のエンジン下側にラジエターとオイルクーラーが装備されている為にエンジンナセルが丸く一見空冷エンジンのように見えるが、 ナセルの肩の部分に消音装置付きのV型エンジン特有の排気管の並びが見える。

 機首の上にあるサンルーム風のガラス張り小屋は、この機体には付いていないが浮上した潜水艦との戦闘用として装備された 機首の20ミリ連装機関砲の射手席で、 正面の平らな窓は照準が正確に出来るように光学フラットになっている。
 操縦席後方背中のドームは天測窓で、これはこの時代の哨戒機の定番である。その後方の碍子状の塔はECMアンテナ。機首下顎の部分の大きなドームは AN/A PS-20早期警戒レーダー。
 シャックルトンは対潜哨戒機であるが、英国では空軍が運用していた。対潜哨戒機の場合、アメリカや日本では海軍が運用しているので 一寸不思議な感じがするが、オーストラリアも対潜哨戒機を空軍が運用している。


 週刊で発行された全200巻を越える航空機辞典 『週刊エアクラフト』 からアブロ・シャックルトンの全景写真を拝借。

 週刊エアクラフトは、1980年代の発行なので現代の最新鋭機の事は載っていないし、古い飛行機でもあんまり極端な珍機は載っていない。しかし、有名どころは 豊富な写真とイラストで判りやすく極めて詳しく解説されており、大変面白い。ただし、オリジナルが英語である為日本語訳は硬く不自然なところがある。 また、零戦、隼と雖もべた誉めされたりはしていない。特に隼に対しては何故か非常に評価が厳しい。

イングリッシュ エレクトリック ライトニング



 この機体の縦に並べた双発のエンジン配置は、航空機史上この機体だけ、という特異なもので、この博物館でこのライトニングを見た時は『おーーーっ、これがライトニングか 、終に見たぞ』と一人感激したものである。

 マッハ2クラスの実験機として開発され、意図した速度や上昇性能は勿論、飛行性能も大変筋が良く操縦性も良好であった為かなり強引に、かつ大急ぎで マッハ2クラス戦闘機に仕立てられた機体である。一応うまくいったら戦闘機にする心つもりはあったらしいものの、 元は超音速実験機であったのと、基本レイアウトが機体内部の先端から尻尾まで全部エンジンルームとして 使われる機首空気取り入れ方式の為、たちまち燃料/兵装/エレクトロニクス機器の 置き場に困る事になった。この解決の為に胴体のあちこちを膨らませたり、 色んな物をくっつけたり貼り付けたりの涙ぐましい努力の末1959年10月1日ライトニングF1として就役した。

 時代としてはミグ21やロッキードF-104、ミラージュVとほぼ同じで、マッハ2クラスの戦闘機同士は距離を取って空対空ミサイルを撃ち合う 一瞬の抜き打ちのような空中戦をするものと考えられ、いずれも『最後の有人戦闘機』というような形容をされた。 しかし、実際はマッハ2クラスの戦闘機同士が出会った時も 亜音速でのマニューバーの末、機関銃で撃ちあうという格闘戦(ドッグファイト)になる事が戦訓として判り、 ライトニングはこれへの対応もまた色々な工夫で乗り切り1988年まで現役を続けた。
 制空戦闘機としてはライトニングの直接の後継機がパナビア・トーネードであることからも、ライトニングの頑張り振りが判る。
 米空軍の戦闘機でいうとF-4ファントム世代がすっぽり抜けて、F-104が改修をうけつつ頑張って、 いきなりF-15になったようなものである。

   エンジンはロールス・ロイス エイヴォン双発、それも共通の機首空気取り入れ口から入った空気を前部胴体内で縦置き双発エンジンに分けるという奇抜な 搭載方法である。しかしこの奇抜な配置のエンジンは就役当初でも アフターバーナー推力6トンX2、後期型では7.5トンX2あり、軽量小柄な機体とあいまって実用上昇限度、初期上昇率、高高度速度などではF-15イーグルにも負けない 高性能を誇った。
 機体平面形の特徴は三角形で、正三角形のデルタ翼から三角形に切り取った主翼、尾翼も同様で、これも非常に目立つ。
主翼後端にあるのは補助翼で、フラップは切欠きの内側にある。

歴史的航空雑誌『世界の傑作機』からライトニングの勇姿。

 1976年7月当時はライトニングは並ぶ者無の高高度性能を持つ現役バリバリの戦闘機だった。

 BACはイングリッシュ・エレクトリックの航空部門を吸収した国策会社の名前。



 イングリッシュ・エレクトリックという会社はその名の通り電機メーカーで、産業展示の方にはEE社製の発電/変電/配電の重電機器が展示されている。


 ライトニングの機体の上に見える複葉機は、デハビランドDH84ドラゴン・ラピッドで、インデックスのこのページのシンボルになっている写真の 機体と同じ物である。
 第一次と第二次の大戦間に多くあった当時としては中型の輸送機で、操縦席は一見サイドバイサイド複座に見えるが、 実際は一人の操縦士が尖った先端の真ん中に乗り、胴体内に千鳥で8乃至9の座席を持つ。経済性に優れ、 離島間や中小都市間のシャトル便用機体、アイランダーの草分けとして非常に成功した機種である。
 デハビランド社製自製のジプシー・クイーン空冷直列4気筒で倒立運転(ピストンが下、クランクシャフトが上、DB601に同じ)というユニークな エンジンを包むナセルと、主脚カバーが一体化されて半ズボンを穿いたような可愛らしい外観となっている。

 アブロ、イングリッシュ・エレクトリック、デハビランド、みんなマンチェスター地元の会社である。



桜花 大日本帝国海軍の特攻機



 この機体が何故ここにあるのか判らないが、英軍も沖縄沖で特攻機の恐怖に晒された事があるので、その関係なのかもしれない。
 桜花は1200Kg徹甲爆弾を機首に備え、緒戦で英国極東艦隊旗艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈した双発爆撃機、一式陸攻の胴体下に抱かれて敵艦に 接近、高空で切り離し、ジェットエンジンと重力で加速してパイロットの操縦により照準した敵艦に殆ど音速の時速1000Kmで突入するという、 現代の空対艦ミサイルの誘導装置を人間に置き換えた自殺攻撃専用兵器である。
 このコンセプトから桜花は古今東西数ある兵器の中で最も非情なものとされ、その運用方法も当時の帝国海軍の航空戦力を考えると無茶で、 実際の戦果に対する損害比も悲惨なものであった。このため連合軍は『バカ・ボム』という仇名を付けたというが、これはこれで無礼な話である。

 大東亜戦争末期に行われた特攻とは、戦闘機の主翼下に125Kgから最大500Kgの爆弾を積み、対空砲火を縫って敵艦船に体当たりする戦法であるが、 この攻撃方法で致命傷が与えられるのは、輸送船やせいぜい駆逐艦までで、空母や戦艦に命中してもその場でのダメージコントロールで対応可能な かすり傷にしかならない。
 その点、桜花は1200Kg徹甲弾そのものであるため、空母の甲板や戦艦の装甲を抜けて内部で爆発させ、致命傷を与える事が出来る、と言う期待があった。 しかしその為には装甲をぶち抜く運動エネルギーを得るために時速1000Kmまで加速できるよう  高空からの投下が必要であったが、戦場の彼我の航空戦での戦闘能力を考えるとそれすら夢物語であった。

 桜花の初陣は昭和20年3月21日。この様子は靖国神社の遊就館のジオラマで見ることができる。 一式陸攻に搭乗した野中五郎少佐指揮する第1神風桜花特別神雷部隊は鹿児島の 鹿屋基地を出撃、開聞岳に見送られて沖縄に向かった。しかし、目標の遥か手前でレーダーに誘導された敵グラマンF-6F編隊36機に捕捉され、 護衛の30機の零戦編隊は蹴散らされてばらばらになり(戦闘機隊の任務の性格の差X機体の性能の差Xパイロットの技量の差で、 陸攻隊のそばにいなければ護衛にならないのに、それができなかった)、護衛から引き剥がされ 丸裸にされた18機の一式陸攻は20分間で全機撃墜されて搭載した桜花もろとも全滅してしまった。 即ち、当時の帝国海軍航空戦力では桜花を切り離しのスタートラインに付ける事すら出来なかったのである。
 自他共に許す当時の帝國海軍で最高の一式陸攻飛行隊指揮官であった野口少佐(戦死して大佐)は、桜花には反対で、この出撃にあたって「湊川だよ」と と述べ、「以後桜花は出さないでくれ」、と言い残して出撃して行った、と伝えられている。
   結局、薄暮や夜間攻撃に切り替えての10回に亘る出撃での桜花による敵艦撃沈は駆逐艦1隻のみ、他には数隻に損傷を与えたのみ。 当方の損害は人的損害だけで桜花パイロット55名、桜花母機の乗員368名の戦死であった(護衛戦闘機パイロットの戦死者は含まない)。

 Note;この写真はウィキペディアの桜花の項にある『マンチェスターで展示されている桜花』の写真にそっくりであるが、この写真はストロボ無点灯、 かつカメラの位置が20センチくらい右に寄っているところが異なる私のオリジナル写真である。誤解なきよう願いたい。
 本HPの写真は全てご自由に引用複製して頂いて結構である。ただし、私自身や家族が写っている写真の引用はご容赦願いたい。また、 引用の場合は掲示板にでも一報頂けると嬉しい。


航空機用エンジン 3機種


 左奥の暗く写っているエンジンは、ロールス・ロイス・マーリン。

 真ん中はマーリンの後継エンジンのロールス・ロイス・グリフォン。

 右はブリストル・ハーキュリーズで、これは空冷星型エンジンである。

 マーリンは『戦闘機設計者の夢:堀越二郎』と言われた名エンジンで液冷V型12気筒SOHC4バルブ。基本型の排気量は27000CCで1000馬力級エンジンとして デビューしたが最後には2000馬力を発生した。
 グリフォンはロールス・ロイス社の液冷エンジン技術の集大成のエンジンで、液冷(エチレン・グリコール30%蒸留水70%の混合物)の 大馬力エンジンとしては量産された世界最後のエンジンである。
 マーリンと同じV型12気筒であるが、基本型の排気量は36700CC、マーリンとの共通性はV型12気筒のレイアウトくらいで、回転方向から して異なっている。外形サイズがマーリンより小さく、マーリンの後継という形でスピットファイヤーその他のマーリン搭載機を回転方向が逆と言う事で、 パイロットの若干の再教育が必要と言う面はあったもののハードウェア的にはスムースに換装して行ったが、 時代はジェットが近づいており、マーリンほど名声を博するには至らなかった。
 アブロ・シャックルトンは、グリフォン・エンジンを搭載している。
 ハーキュリーズは空冷二重星型14気筒38700CCのエンジンで、英国の代表的空冷エンジンとして大戦中大量生産され、 ブリストル社のボー・ファイターやハリファックス爆撃機に搭載された。
 このエンジンはスリーブ・バルブを装備しているため空冷星形なのに直径が小さいという特徴がある。 ハーキュリーズの兄弟であるブリストル・セントーラスもスリーブ・バルブで空冷二重星型18気筒58600CCの巨大排気量エンジンであるが、 これをホーカ・ーテンペストの機体に収めた単発戦闘機シーフュリーFB MK11は英国最後のピストン・エンジン戦闘機 として空母に搭載され、ジェット戦闘機が跳梁した朝鮮戦争に参戦し、空中戦でミグ15を2機撃墜している。



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