ポルト

ドン・ルイス・T世橋。


 ポルトのシティセンター側とポートワインの工場(?)が並ぶヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの間のドゥロ河にかかる二段構造の道路用鉄橋である。
 かのアレクサンドル・ギュスターブ・エッフェルの設計になり、細い鉄材を編んだような、きれいなかつ優雅なアーチ構造をしている。
 欧州共通通貨のユーロが発足する直前、2002年まで流通したフランス最後の200フラン札の肖像はエッフェルであったが、紙幣の表にエッフェルの肖像と並んでいたのはこのドン・ルイス・T世橋で、 エッフェル塔は裏に回っていた。



 水面からアッパーデッキまで200フィート。と言うことは60メートル。大型車が通るとかなり揺れる上、手すりは大体腰のライン位であるので、 下が良く見えて結構怖い。 しかし、怖がって車道に寄ると、馬車時代の古い橋の事ゆえに、歩道、車道とも幅員が十分ではなく、バスやトラックが肩をかすめんばかり追い越して行き、風圧と 恐ろしさで慌ててまた手摺側に寄ることになる。 高所恐怖症の人は下段のデッキを行くほうが無難であろう。途中で動けなくなって泣くはめになっても知らないよ。

 シティ側のドゥロ河畔に小さな広場があり、橋が良く見える。広場には男たちが出ていて、別に何の用事というのではなく、立ち話をしている。 陸側の端には鰯の塩焼きとかそういう類のポルトガル料理の安いレストランが並んでいる。
 そんな店の一軒で蛸を食べた。ポルトガル語のメニューが読めるわけではないので、全知全能を傾けての推理とウェイター兼オヤジとの ボディ・ランゲージの末の注文である。蛸の調理方法はソテーで、全部の皮をエボエボごと剥ぎ取り、子供の腕くらいある真っ白な棒状の身がごろんと皿に乗って出てきた。 我等日本人にはこの方が不気味である。ヨーロッパでは海産物の焼き物は何でもウェルダンが常識なので固いだろうと思ったがそうでもなかった。
 後で、義理のお姉さんがスペインの蛸食い地域の出身だ、というスペイン人に聞いた話によると、蛸を柔らかくするコツは料理する前に徹底的に岩に 叩き付ける事であるそうなので、あの蛸もそういう処置をされたのかもしれない。


シティ側のアッパーデッキたもとから見たドン・ルイス・T世橋の上流側側面。


 エッフェル塔同様の『鋼鉄のレース編み』である。
 エッフェルはポルトガルではこの橋の他にリスボンに観光用の展望塔を残している。
 彼は、スペインのビルバオの可動橋、ブダペストの鎖橋、ニューヨークの自由の女神の骨組みなど多くの特徴ある鉄骨構造物の設計をした。


同じくシティ側からアッパーデッキの歩道と対岸ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア。


 ドゥロ河川岸に近い白い低層の大きな建物はポートワインのCALEMの工場。
工場の前にワイン舟が舫ってある。

ポートワインの作り方。

 上流のポートワイン専用葡萄畑で栽培された葡萄を大樽の中で裸足で踏み潰し、発酵用樽で皮ごと醗酵させる。
 醗酵が終わる前にブランデーが入った別の樽の中に投入し、皮と糖分を残したまま醗酵を止める。
 その樽をワイン舟に乗せてドゥロ河を下りポルトに運ぶ。
 ポルトで絞り皮を除き、さらにブランデーでアルコール度を調整する。
 そのままポルトにて3年間以上熟成する。

坂口謹一郎先生の名著『世界の酒』より。




アッパーデッキの入り口付近からドウロ河下流のシティ方面。


 橋の下から伸びた木の梢が写っている。




アッパーデッキから見下ろしたドゥロ河河岸。

 ワイン舟が何艘も舫ってある。右の写真に河岸レベルから橋のアッパーデッキレベルまで上るエレベーターが写っている。




ポートワインの『CALEM』の工場見学後の試飲会兼即売所の部屋。


 原材料としてのワインとブランデーをポートワインに加工し、さらにそれを保管熟成させる工場の見学はガイドつきのツアーで、英語のガイドツアーもある。 見学後、暖炉などあるこの堂々たる部屋に案内してくれて試飲させてくれる。
 あんまり立派な部屋でこのまま立ち去るのはもったいないので格好つけて写真を撮っていたら、我も我もと同じポーズで写真を撮る輩が現れた。
試飲して買わずに出てきても別に文句は言われない。

 赤玉ポートワインはポートワインとは別物で、商標権利が厳密化した現在では赤玉スイーツワインと言うらしい。
 シャンペンやキャンティなどと同じく、ポートワインの名称は本来の産地によってきちんと公式に定義され守られている。





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