1995年7月20日 熱波のマドリッド

マドリッド中央郵便局前


 記録的猛暑の1995年7月20日午後4時頃
 街頭の気温表示セ氏45度。

 マドリッドは統合スペインの首都としてスペインの地理的真ん中に人工的に作られた都市である。その地理的真ん中があいにく砂漠だった為、 当然ながら今でもマドリッドは砂漠の真ん中で、住民に聞くと水の供給は常に危機的なのだという。
 スペインのお客様はバルセロナ周辺に多かったが、マドリッドにもあり、年数回は行った町である。
 この時は、同僚と二人で、ドイツのデュッセルドルフでミーティングを一つ済ませマドリッドに着いたのは午後の早い時間であった。 前の日に現地に入って一晩泊まり、仕事は翌日というサラリーマン憧れの前泊出張である。

 それ〜っマドリッドだ、観光だとダウンタウンに繰り出したのであるが、暑い!。砂漠の町なので湿度はごく低く、落ちた木の葉が踏まれてたちまち粉になって 吹き飛んでしまう位乾いているので日本の蒸し暑さとは異質であるがとにかく暑い!。(ちなみにバルセロナは蒸し暑いのである)。
 壮麗なマドリッド中央郵便局前の街頭温度計が45度を示していた。温度センサーがどこにあるのか判らないが温度計本体は日陰になっているので ちゃんと日陰の気温を測っていたものと思われる。夏の日が長いヨーロッパでは午後4時頃が一番暑いのだという。
 そういうこともあって、レストランも取引先の地元の人が「うまいよ」と教えてくれるような、一寸名の知れた店は午後九時にならないと開かないのである。
 翌日のミーティングは一応世界に名の知れた会社のマドリッド支店であったが、その日も暑い日で、当時のマドリッドの平均的オフィスとして冷房が無い 会議室で生ぬるいミネラルウオーターを飲みながらのミーティングの第一声は「昨日は暑かったな、マドリッドでもXX人死んだらしい」と暑さの事だった。

灼熱のジュネーブ空港エプロン


 帰りの経由地ジュネーブ空港。
 沖止めのバーゼル行きSAAB2000まで歩いた100m余りは、記憶している限り最も暑いスイスであった。


 振り返って見たターミナルビルとマドリッドから乗ってきたイベリア航空のフォッカーF-100。






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