スイス・フランスの旅 スイス編

5月25日(日)


 サンモリッツに別れを告げ、ローヌ谷方面へ移動する日。今日と明日はホテルの予約をしていないので、どこかで探さなくてはならない。 とりあえず、ジュリア峠(Passo dal Guglia)を越え、クールをかすめてライン谷を遡る事にする。

 列車に乗るのみならず、昼食やお弁当などで随分お世話になったレーティッシュ鉄道サンモリッツ駅。
 切符売り場の駅員さんも親切だった。 国中殆どの駅において英語で切符が買えるというのは流石観光立国スイスで、フランスやドイツではこうはいかない。

ここから公衆電話で日本に電話したら5スイスフラン(400円くらい)で随分長い間話せた。




ジュリア峠

 サンモリッツの西からクールの南に抜ける峠で、アルブラ峠よりメジャーで越えやすいとされている。
峠閉鎖を道路の土壇場で知らせるられても洒落にならないので、道路脇にはかなり手前からかなりの頻度で峠情報が示される。
ジュリア峠もその先のオーベラルプ峠も開いている事は確認済みである。


ジュリア峠登り口からの風景。


ジュリア峠(2253m)のコル。

ジュリア峠も春真っ盛り、
ここにもおきな草の群落が




峠の頂上のパノラマ。


峠を下りていくと、タンポポの花盛り。




雨模様のライン谷を遡る。

トゥルン駅。(Trun)

 2000年夏にkitamura師匠と来た事がある、スイスの画家であり絵本作家のアロイス・カリジェが生まれまた亡くなった町である。 その時も日曜日だった記憶があるが今日も日曜日。あの日は暑かったが今日は肌寒い。

 実は私、kitamura師匠にお会いして教えて頂くまでカリジェという絵本作家の事を知らなかった。
その後、2003年3月に横浜高島屋でカリジェ展があり、絵本のみならず多くの絵を見る機会があった。 そのとき感じたのはエコール・ド・パリの影で、カリジェは1902年の生まれであるが、あと10年早く生まれていたらパリに出て ピカソに会ったのは確実であろうから画家として全く違う方面に進んだのではないかということであった。

 ところで、トゥルンはロマニッシュ語圏にある。Alois Carigietを当人もアロイス・カリジェという風に発音していたのなら それはロマニッシュ語なのであろうか?、ドイツ語風ならアロイス・カリジェット、フランス語風ならアロア・カリジェになりそうである。



セドルン(Sedrun)など通過。

 オーベラルプ峠(Oberalppass)も雲の中。第2ゴッタードトンネルの工事看板がある。
 言語的にはロマニッシュとドイツ語の国境にあるセドルン駅舎内のビュッフェは完全にドイツ語の世界、食いたい一心がドイツ語で注文させてしまう。 珍種の客に食事中の手も口も止めて注目していた周りの客も、こちらのオーダーが決まったとたんほっと安堵のため息。


オーベラルプ峠(Oberalppass 2044m)


 ライン谷のどんずまりの峠で、ライン河の源流地帯である。

 雪がある季節に越えるのは二度目であるが、今回の方が深い、頂上の駐車場は殆ど除雪してない。
2000年夏のkitamura師匠とのドライブはアンデルマットで落ち合い、翌朝逆側からオーベラル峠を越えてライン谷に入ったのだった。



 峠の湖も凍ったまま。手前は氷河特急の走る、ツェルマット−クール間の鉄道線路で、汽車はラックレールで峠越えするが 峠の頂上付近は約4Km殆どフラットで湖の縁を道路と平行して走る。いわゆる『氷河特急』の標高最高地点である。


 斜面からの落雪を切り通し状に除雪したあと。5mくらいはあるだろうか?。

アンデルマット

霧の下のアンデルマット(Andermatt)。

 アンデルマットとフルカ峠(Furkapass)への谷を霧がすっぽり包んでいる。

 右写真は霧のアンデルマット。
 白い建物はホテルで角を右に曲がるとオーベラル峠。左手の木造の建物はお土産物屋さん。



晴れていれば、こんな感じ。1997年7月

 左写真の中央奥がフルカ峠で、峠を越えローヌ谷を下り、レ・マン湖を経てフランスへ。
  左手前の尾根の向こう側、雪のある尾根との間を行くとゴッタード峠を経て光の国イタリアに抜ける。
 また、アンデルマットの町の向こう側、画面右の方へ行くと、ゲシュネン谷を下り、アルトドルフを経てスイス建国の歴史のあるスイス中心部に至る。
と言う風景をスイス最古の町クールからライン谷を遡って来た旅人が眺めている。 アンデルマットがアルプスの十字路と言われる由縁である。




フルカ峠


 フルカ峠は閉鎖中。車を輸送する列車フェリー乗り場まで6Kmの標識。

 フルカ峠は標高2431m、峠の両方の登り口がスイスにある峠として2番目に標高が高い自動車で越える事ができる峠である。
この峠が閉鎖されていることは日本を出るときから知っていたし、 汽車フェリーに乗れば越えられる事も判っていた。この汽車フェリーに一度位は乗ってみるのも一興である。

 ちなみに一番高いのはフルカ峠の南あるヌフェネン峠(Nufenen峠=2478m)で、これも2000年にkitamura師匠と越えた。




 レアルプ(Realp)のフェリー乗り場。

 初めての事とて訳判らず前の車に付いて並んでしまい、後ろにも車がついて列が出来てから 前方にチケット売り場らしきものが無いことに気づいた。隣の車は一寸怖そうな風体のごく若いカップルだったがこれがフランス語話者で、ここは 既にチケットがある車の列なので無いのならあっちで買ってこないと駄目だよ、親切に教えてくれた。  おーーっと思ったが既に前後が車で、にっちもさっちも行かない。車を降り、かなり離れた自販機にチケットを買いに走る。

 チケットを買って車に戻る。 愛車は左側の列2番目(後ろから数えると3番目)という好位置に付けている。




 写真左;フルカトンネルの方から赤い電気機関車のフェリー列車がやってきた。
 写真真ん中;乗車してトンネルに向かう。半有蓋車というべきか?。勿論外には出られない。
 写真右;オーベルバルド(Oberwald)に着いてフェリーを降りる。車は既に動いているので前のバスとの間を詰めている。

ローヌ谷に抜けると,ややましな天気。ここにもタンポポ




 2010年7月23日の鉄道事故
 2010年7月23日の正午過ぎ、ローヌ谷のLax − Fisch間で、スイスの鉄道を代表する氷河特急(氷河急行)6両編成列車の後ろ3両が脱線転覆するという事故が起きた。 事故原因はカーブでの車輪のせり上がり、即ち鉄道の車輪の内側にあるフランジがレールを乗り越えて脱線してしまった。とされている。 しかし、脱線した列車は、これから、あのレーティッシュ鉄道の縄張りに入り、アルブラ峠越えのグルグル回りを登っていく列車である。 それがあの列車にとってみれば平坦で真っすぐも同然のローヌ谷で、せり上がりにより脱線転覆するものかと思う。

 事故現場位置推定。
 画面の上がフルカ峠方面、即ちFisch方面で、Fischからは、エギスホルン展望台行きロープウェイが出ている。
 下左の集落は、Laxの町。町の出口に立体交差があり、鉄道が道路(フルカ街道)を跨いでる。ローヌ川は依然として谷川であり、ローヌ河とは 言い難い。

 中央上のXが事故列車の機関車の停止位置。小さな窪地を越える為に石のアーチ橋がかかっているが、その橋の手前付近○印付近で3両が横転。
 せりあがりの原因としては乗客が一斉に列車の片側、この場合谷の眺望が開ける進行方向右、に寄った事もある、と推定されている。 だとしたら、LAX側にある小さな森を通過したあとの左カーブ、写真では上向きの突起状カーブから直線になるあたり、で 車体が傾き、最後尾車両の車輪がせり上がりって線路を乗り越え、100m程走った辺りで前2両を巻き添えにしてカタストロフィに至った。 という事になる。
 なるほど壊れた車両を見ると、グラス・ファイバー・ボディの切断面がむき出しになっており、極めて軽量に作られていて、乗客の移動に影響されるかもしれない と想像されるし、日本のお年寄りの団体旅行者のビヘイビアとして、一斉に景色の良い方に寄ってしまうという事もあるかもしれない。しかし、 乗客が一方に寄った為に列車が傾いて脱線するなどというマンガみたいな事が本当に起きるのだろうか?。運転再開の早さも異常であった。 まるでハードウェアには問題が無い、使い方即ち乗客の乗り方が悪い、と言っているようである。


スイスの温泉地、ロイカーバートLeukerbad。


 ロイカーバートはローヌ谷のほぼ真ん中から北に向かって山を登った所にある温泉保養地である。ロイカーバートからゲンミ峠を越えて 汽車フェリーがあるカンデルステグに出られるが、残念ながらゲンミ峠は自動車では越えられない。
 地図によるとロイカーバートはドイツ語圏で、町の通りの名前やただずまいもドイツ風なのに、ホテル内で客が話している言葉が殆どフランス語、 町の店では英語は駄目でも、フランス語は通じた。


 一番高いところにある一番高級そうなホテルに飛び込みで二泊確保。 新興のホテルグループが老舗ホテルを買い集めたと言う感じのホテル。 我々が泊まった建物の壁にはHOTEL DE FRANCEとあり、フロントがある建屋とは別棟で、別館扱い、唯一ベランダ付きの部屋を貰った。




シンボルマークと露天風呂(絵葉書)

 風呂では水着着用の事であるが混浴である。なにせ湯治場であるから絵葉書のようなおねさんはなかなか見かけない。勿論皆無ではなく、 風呂の中を泳ぎまわるビキニのミドルティーンのお嬢さんなどというのもいた。
 ホテル内には混浴の大浴場があり、水着着用ではあるが岩風呂や打たせ湯まであったし、バスローブでホテル内を歩いても良い、と殆ど日本の温泉場ののり。
夕食は二晩ともプロがサービス(盛り付け)してくれるホットミールのバイキング。二日目はアジア風フードの日、すし(のようなもの)が出て、 当方を日本人と見たらしい列の後ろの人に 『これはTOKYOのすしと同じか?』 と訊かれたので 『ちょっと違うかもしれない』 と答えたら、 自分のテーブルに戻って 『おいTOKYOのとはちがうってよー』 と大声で言っているのが聞こえた。



 このプール状露天風呂の壁からは頑丈なステンレスパイプの格子が水平に出ていて、そこに寝転ぶと体が水面ギリギリに来る。さらに時間を切っての ジャグジーになっていて、パイプから猛烈に泡が出てくるので自分がてんぷらになって揚げられているような気分になる。
 寝転んで入る浅いジャグジーというのは他にもあるが、深いプールの水面付近、しかも屋外というのが非常に気分が良い。 面白かったので長時間楽しんでしまったら高原の紫外線恐るべし、お腹まで日に焼けた。





道端の温泉。なにやら彫刻。ツェルマットのようなねずみ返し。マロニエ。




次へ

ヨーロッパの旅 INDEXに戻る