富士五湖

    
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山中湖。左;2003年9月、右;2009年11月。

 御殿場から山中湖付近にかけては、富士山の山体の太さと山肌の襞の様子が急速に変化する。篭坂峠から見え隠れする富士山の姿は場所により 表情を大きく変える。峠を降りた山中湖は、富士山の東北東にあたるので、富士山を北北西から南南東に向かって並ぶ溶岩噴出口列に正対して見る ことになる。
 このため富士山の稜線は最も長くなだらかになるが、寄生火山があちこちに見えて稜線がすっきりしないし、基本の姿が非常にたくましく 山頂付近の巾も広い。 ほんの少しの角度の違いであるが、河口湖からの方が頂上付近がより細身になるので格好良く見えるし、山裾もすっきりする。

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三国峠。2009年11月

 三国峠とは山中湖畔の平野から駿河小山へ、丹沢山系の一番西側を越えて抜ける峠で、篭坂峠が整備された現在、実用的な価値は あまりなく、山中湖側のこの眺めのために存在しているような道である。三国峠の 名前の由来は、甲斐、相模、駿河の三国の境を行く道と言う意味であろうか?。

 山中湖と富士山の展望は、山中湖からは車なら10 分そこそこなので、山中湖畔から富士山がきれいに見えたら一寸足を延ばしてみて損はない。




ホテル・マウント富士。1978年4月  空に残月。

 上の三国峠からの写真で画面右の山の上にある白い建物はホテル・マウント富士である。宿泊中に富士山が見えなかったら御代割引という噂がある。 また北富士演習場を見下ろすので、大口径砲の射撃では弾道が見えると言う事も聞いた事がある。 恥ずかしながら私も30年以上の昔、(諸事情あって)新婚旅行で泊まったが、翌朝の富士山は見事であった。

 この写真は昨年(2010年)生産が終わってしまったコダクロームで撮った。掲載に当り、スキャナでデジタル化した後Photoshopで若干の色補正をしているが、 33年前の写真にもかかわらず、見事な色彩が残っている。


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河口湖。2012年6月

 河口湖と山中湖はだいたい15km位離れている。そして眺める富士山の形はまるっきり違う。
 河口湖からだと、富士山で最もなだらかな東斜面が左側のスカイラインになるため、山はやや右に傾いているように見えるが、山中湖からの 眺めに比べると、山裾まで凹凸のない、優雅な姿になる。山頂も、山中湖からだと子供が描くようなまっ平でいかにも「富士山」らしいのに対して、 かなり複雑な形をしており、かつ細身である。

 山中湖と河口湖からの富士山がこれだけ違うか、と眺めるのも富士山ウオッチングの醍醐味である。



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天下富士。1977年1月、2012年6月

 天下富士とは、河口湖から清水の次郎長の宿敵、甲州は黒駒の勝蔵親分で有名な黒駒に抜ける御坂峠の天辺から見る富士山の事である。
 実際ここからの景色は雄大かつ繊細で実に美しい。三日三晩の山行の末見られる景色の中にはもっと凄いのがあるかもしれないが、歩かず息も切らさずに 見られる山の絶景としては日本一と言い切って良いであろう。 太宰治は全く破綻が無いこの景色に様々な難癖をつける事で絶賛している。


 御坂峠は1967年に現在の新御坂トンネルが出来て、旧峠は一気に寂れ、峠の茶屋である天下茶屋も廃屋になり、さらにぺちゃんこ に潰れてしまった時代もあった。

今では茶屋も復元され営業しているらしい。

 御坂峠を越えて甲州に入るなら4月初旬である。そこはまさに桃源郷である。富士山は見えないが晴れていれば白根三山の白銀の峰が迎えてくれる。



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本栖湖。1980年12月

 現1000円札の富士山像である。
   富士五湖中最も西にある本栖湖からはもう南斜面が見え始める。富士川沿いから下部温泉を抜けて登る道は相当な斜度と曲がり具合であり、途中の眺めも良い素晴らしい峠道である。 そして登りきって小さなトンネルを抜けると右側にいきなり本栖湖と富士山が広がる。

 登り切ってしまうと、コモ湖からサンモリッツに向かうマロヤ峠のように頂上からの下りは殆ど無く、富士山麓の平原になっている。

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紅葉台。1984年3月

 精進湖の近くにある、富士山と青木が原樹海の絶好の展望台であるが、紅葉台頂上の富士山側に売店兼茶屋が建っている。 富士山と自然な展望位置の間に人工障害物を置き、観光客から最大限金を取ろうとするのは、本来広い景色をちまちまと 囲った忍野八海同様に富士山を観光資源としているのではなく、喰いものにしているわけで、私は好きではない。 甲州商人めが、と思ってしまう。(富士山が見える事を売り物にしている建造物所有者全部を否定しているのではありません)
 また、紅葉と言っても標高が高いこの辺り、秋にも紅葉する植物は少なく、カラマツの黄葉が目立つのみである。

 この眺めの地形は西暦864年の爆発で作られたもので、この時、富士五湖の西の三つが分断され、溶岩流で青木が原ができた。 分断された三つの湖は地下で繋がっていて、水面標高は共通の902mである。


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忍野;1982年10月と2003年9月。

 山中湖を過ぎて河口湖に向かってすぐ、河口湖への道路から大きく右にそれて行ったところに、 古代の湖の後であったという湿地と湧水池が点在する忍野がある。

 本来絶景の所で、富士山の形も宜しく、大好きな場所であるのだが、今やちまちまと分断され、囲いや塀を作って、あれを見たかったらあと幾ら、 ここに入りたかったらこの店で買い物必須、この塀の内側から富士山を見たかったらなんぼ、と無茶苦茶に横暴に金を取りたがる新宿歌舞伎町 みたいなところになっている。
 2003年夏、良い所だよ、と人を案内した時は、20年前はこんな悪場所ではなかったのだ、と謝る羽目になった。

 先日訪れた神戸の異人館街でもこの『金儲け手段としてしゃぶり尽くす』スタンスを感じた。横浜の異人館街のおおらかな見せ方とは随分違っていた。



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田貫湖。1985年2月

 田貫湖はもう静岡県で、富士五湖には属さない。富士山の真西に位置する小さな湖で、剣が峰(3776m)が右端に非常に目立って見える。 剣が峰直下の大沢崩れも真正面に見えるので、天下富士の優美な姿とは大分様相を異にする。

 真西という特殊な位置関係で、季節限定ではあるが、富士山頂からの日の出が見られる事で人気がある。
 最近は季節問わず、富士山頂に日が沈むのさえダイヤモンド富士とかいって珍重する流行があるが、 ダイヤモンド富士というからにはやはり日の出でなくてはならないと思う。ここからは真のダイヤモンド富士が見られる。





朝霧高原。1978年3月

 本栖湖から富士宮に向かって富士山の西側を南下する国道139号線は非常に気持ちの良いドライブウェイである。
 しかし、ここから見える富士山は大沢崩れが真正面に見える特異な姿である。
 富士山の反対側には、赤石山脈の白銀の峰峰が並ぶ。





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