歩兵第三聯隊 安藤大尉隊 鈴木貫太郎邸へ 




最も長い移動距離


 最初から乗車で0040頃行動開始した河野寿大尉の湯河原滞在中の牧野伸顕前内大臣襲撃隊、また斎藤邸襲撃後、四谷見附で乗車して荻窪の渡邊錠太郎 教育総監邸を襲撃した高橋太郎少尉隊の、乗車して行動した二つを除くと、安藤輝三大尉の歩三から鈴木貫太郎侍従長公邸までの道のりは当日の徒歩隊の 中では約5キロと最も長い。しかもそれはなかなか味のあるルートなのである。

 0330安藤隊は歩三を出発、外苑東通りに出て、乃木坂から右に折れて赤坂方面に向かう。この道は、近歩三の脇を通る事になるが、もし外苑東通りを 真っ直ぐ行って、内堀通りを使うとなると、坂井隊同様大宮御所にぶちあたる事になるし、何より中橋中尉の襲撃目標である高橋是清邸や赤坂警察署の前を通 らなければならない。事の前である、静かにしておくにしくはない。
 近歩三の脇を抜けるのが最善だし、距離も短い。近歩三の脇を抜けた安藤隊は、外堀通りに出て、左に曲がり、赤坂見附を北上して弁慶橋を渡る。
 時間的に、近歩三の中橋中尉が非常呼集の準備をしていた頃であろう。

 赤坂見附から右折して、青山通りを内堀通りに出なかったのも、三宅坂界隈を事の前に騒がしたくないという意図であろう。



   弁慶橋を渡った安藤隊は紀尾井坂下を右折、麹町方面に向かう。内堀通りに出る事無く、麹町で左折、新宿通りを横切って番町方面に向かって北上する。 これも内堀通りに出ると、半蔵門前で宮城警備隊に見られる事になるし、当然徹夜の警備が付いている英国大使館正門前を通らなければならない。
 どこで左折北上に移ったかは推定であるが、英国大使館敷地を避けると言う意味から、現在の地下鉄半蔵門駅がある通り、即ち内堀通りから二本、 濠から離れた通りを使って英国大使館をやり過ごしたであろう。英国大使館は軍事行動上からは何の障害にもならないが、警備の警官に発見され通報されるのは避けなければ ならない。一斉襲撃時刻の0500前に警視庁に情報が入るのは絶対まずい。
 英国大使館をやり過ごした安藤隊は一番町と三番町の境界の通りを斜めに内堀通りに向かい、千鳥ヶ淵に出る。千鳥ヶ淵の現在の戦没者墓苑の場所は、 賀陽宮恒憲王の宮家であった。
 鈴木貫太郎侍従長公邸の正門は現在の墓苑側即ち当時の宮家側にあり、裏門は鍋割坂に面した現在の宮内庁分庁舎の正門の場所であった。 襲撃隊は二つの門から同時に押し入ったと言われている。

 これは全くの想像であるが、安藤大尉は150名を二手に分け、千鳥ヶ淵に出たところで一隊は内堀通りを北上、すぐ右折して鍋割り坂を 下って裏門へ、一隊は千鳥ヶ淵沿いに正門に向かったのではないだろうか。武装兵の一隊が宮家をぐるり回り込むのは不敬であるが、正門側を襲撃前に線で 抑えておかないと襲撃時に事が宮家側に及んでしまう可能性があり、その方が怖いし不敬である。
 また、鈴木侍従長は拳銃で撃たれている。他の襲撃隊のように 機関銃や小銃を乱射しなかったところに宮家への配慮が感じられるというのは考え過ぎか。

 襲撃後安藤隊は次の持ち場である三宅坂三叉路に向かうが、これは内堀通りを行ったであろう。




 画面手前および左側が千鳥ヶ淵。画面の右端の生け垣は戦没者墓苑の南西の端。
 向うに見える交差点は内堀通りで、こっちから行って右に曲がると靖国神社、 左に曲がると英国大使館正門前や半蔵門を経て三宅坂に至る。
 交差点の向こう側に伸びる道路は、一番町と三番町の境界になっている道路。

 安藤隊は(おそらく)この道を向うからやって来て、この交差点で 二手に分かれ、一隊は靖国神社方面に曲がって鍋割坂に至り、一隊は直進して現在の墓苑を回りこんだのであろう。

 安藤大尉の早過ぎる出発時刻
 安藤大尉隊は約5キロ先の侍従長官邸までの行軍時間を1時間半とっている。これは時速3キロ一寸の速度で、軍隊の行軍速度としていかにも遅い。 ルートを見てもそれほど難しい所も無い。同じ歩三の坂井中尉隊は、もっと難しい道を平均時速5キロ以上で行軍をしている。武装した集団を見られるのを 避けたいのに、ゆっくり歩くとは考えられない事から慎重を期したというのでもなさそうである。中橋隊も近歩三から高橋邸までの800メートルに 20分の時間を取っているが、 これは20分と言う絶対的に短い時間である事、営門出発時は弾薬を携行しておらず途中で歩一から運ばれた弾薬を受け取ったであろう事、赤坂警察署対応、 などから考えて余裕をみた 時間ではない。安藤隊は出発時に十分な弾薬と装備を個々に携行していた筈であり、90分の時間はどう考えても必要無い。その理由は何であろうか、 興味ある謎である。
 中橋隊に弾薬を渡したのは千鳥ヶ淵に向かう途上の安藤隊だったのか?。

鈴木貫太郎侍従長官邸


 建物は勿論当時の物ではないが、現在も宮内庁分室となっている。有人警備はされていないので、特にVIPの為の施設と言う訳ではないらしい。
 上の写真の左は、千鳥ヶ淵沿いの道路から見たところ。右上に伸びている道路が鍋割坂で、坂に面して現在の正門、2.26当時の裏門がある。 右の写真はその鍋割坂に少し入った所から見たところで、群がっているのは我が味方である。

 お濠に面した大きなバルコニーがある瀟洒な建物で、千鳥ヶ淵の桜を愛でるには絶好の位置である。やんどころなき方々がここからお花見をされるのか、などと想像をたくましくしてしまう。  。


 たか夫人が今上陛下の乳母であり、当人も陛下の摂政時代からお側にいる君側の奸の代表として襲われた鈴木貫太郎侍従長は拳銃で4発撃たれて重傷を負ったが、 夫人の嘆願を受け入れた安藤大尉が止めをささなかったために一命を取り留める。
 しかし、日清戦争からの海軍軍人で日露戦争の英雄、連合艦隊司令長官と軍令部長を歴任したという海軍の象徴のような退役海軍大将を襲われた 海軍現役将兵の怒りは 凄まじかったという。
 鈴木貫太郎は2.26事件から9年後、所謂終戦内閣の総理大臣として、東郷外務大臣と阿南陸軍大臣の意見対立を収拾するために (彼にとっては可愛い可愛い)昭和の天皇に、御聖断を仰ぐという大日本帝國憲法無視の 離れ業で、大東亜戦争を終結に導く。大日本帝國憲法下でも天皇は内閣で決定していない事に、自らの意思をさしはさむのは厳に禁じられていたのである。




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