近衛歩兵第三聯隊 中橋中尉隊 高橋是清邸へ 




薬研坂


 0440「明治神宮に参拝する」として赤坂の近衛歩兵第三聯隊を出発した中橋隊は薬研坂を登り、青山通りに出た。中橋中尉はここで高橋邸襲撃の意図を 明らかにし、小銃と機関銃に実弾の装填を命じた(この実弾弾薬は、歩一の栗原中尉主導で調達した歩一の弾薬庫から出たものであろう)。 青山通りと薬研坂の交差点のすぐ脇には赤坂警察署がある。 中橋中尉は兵力の一部を割き、ここに歩哨線を敷いて後衛とし、高橋是清私邸に向かった。

 坂の上から、薬研坂を見降ろす。
 優雅な曲線の下り坂が左に消えるあたりから300メートル程向うの左手が近衛歩兵第三聯隊である。当日の 蹶起部隊の中で最も移動距離が短かかった中橋隊は0420非常呼集、0440出発と最も遅く行動開始している。



大蔵大臣高橋是清私邸

 お洒落であった中橋中尉は、真っ赤な裏地の将校マントを愛用し、上流階級の女性が出入りするダンスホールに通ったという(自身も 陸軍将官の息子、近衛将校であるから決して分不相応という訳ではない)。
 少尉として近衛歩兵第三聯隊に任官した時は、聯隊旗手を仰せつかったというのであるから、兎に角颯爽と恰好良い青年将校であったのであろう。
 0510時、高橋邸に着くと、中橋中尉は私物のブローニング・ハイパワー拳銃を抜き、自ら先頭で縄梯子を伝い塀を乗り越えて邸内に踊りこんだ。

 事件後屋敷は建物ごと東京都に寄付されたため、高橋邸の屋敷はほぼ当時の構えのまま公園として今に残った。建物も、小金井の江戸東京たてもの園に 残されている。渡邊教育総監邸も最近まで残っていたというが、今は無い。九段会館も危うい今、高橋邸は2.26の遺構として貴重である。

高橋是清像


 高橋是清は、大蔵大臣現役のまま殺されたが、大蔵大臣として殉職というにふさわしいプロ中のプロの金融政策専門家だった。2.26事件で襲われた理由は、 インフレ抑制などを目的とした軍予算の大削減政策をとったためと言われている。日露戦争の戦費調達のため、日本国債の引き受け手を探して腐心した人でもある。
 講談的ではあるが、近衛歩三聯隊にあまりに近い所に住んでいたため目立ち、当日放っておくわけには 行かないだろうと、(宮城占拠の)行きがけの駄賃として襲われたと言う説もある。実際、2月26日には中橋中尉は 宮城守衛控将校であった。ということは中橋中尉が中隊長代理の第七中隊は宮城警護の守衛隊の控隊、つまり宮城警備を口実に宮城内に入れる状況にあった。 この立場を千載一遇として活かすには、高橋邸襲撃などいう道草は食っているべきではなかったのではあるまいか。

高橋是清翁記念公園


 現在は都立の公園になっている。中の池の水は高橋邸であった時代からの天然湧水だそうである。
 バス停位置は当時の都電『赤坂表町』に同じ。

 面している道路は国道246号線青山通り、向うの緑は皇太子殿下がおられる東宮御所。  


中橋中尉 坂下門で談判

 中橋中尉は高橋蔵相襲撃後、襲撃隊の60名を中島少尉に指揮させて、首相官邸に向かわせる。中尉は、襲撃時待機させておいた今泉義道少尉指揮の62名を連れて半蔵門に向かう。  0557、「明治神宮方面で変事ありにつき宮城内に入る」として警備官が二名しかいなかった半蔵門を開けさせ、宮城内に入った。
 宮城内に入った中橋隊は濠沿いの小道を坂下門に向かう。坂下門近くにあった宮城守備隊司令部で、近歩3の2個中隊を指揮して宮城警備に就いていた門間少佐と談判、0615 まんまと坂下門警備の任に就き、軽機関銃2挺を含む配下の60名を坂下門周囲の戦闘配置に付ける。
 宮城で最大の通用門であり、宮殿に最も近い坂下門は一時的に中橋中尉の手に落ちたのである。

 しかしこの間、宮城内や参謀本部/陸軍省での動きも急であった。また蹶起軍を出した各聯隊も指揮官が戻り、何が起きたかが明らかになってきた。 0700頃、門間少佐の許に中橋は高橋蔵相邸襲撃隊の指揮官であった、という情報が届き、中橋中尉は身柄確保され ブローニング・ハイパワーも取り上げられて、同じ近歩三の第一中隊大高正楽少尉の監視下に置かれる。 0755、中橋中尉は宮城守備隊司令部を一人離れ、二重橋(正門鉄橋)に向かう、後を追う大高中尉に隠し持ったブローニング小型拳銃を向け、、 大高少尉も拳銃を抜いて睨みあった。

 結局、中橋中尉は指揮下の今泉少尉と下士官兵全員を坂下門に置いたまま、一人正門鉄橋と石橋を渡って宮城の外へ、さらに桜田門 から内堀通りに出て、参謀本部に向かう栗橋隊に合流する。時に0840時、蹶起軍が宮城内に入る望みは断たれた。

 中橋中尉が、宮城占拠を真面目に考えていたのなら62名の兵力はいかにも少なく、当日の宮城警備部隊と話が付いていた訳では なく、更に同じく宮城警護に当たる近衛第一連隊、近衛第二連隊とはいかなる将校とも話は付けていなかった。 従って、坂下門を確保したとしても、それ以上の実力行使は中橋隊だけではどうにもならなかったわけで、 中橋中尉のこの行動は一種の謎であるとされている。

 一説では、中橋中尉は坂下門の確保が最終目標ではなく、宮殿中枢まで入って蹶起趣意を上奏、もし趣意が聞き入れられなかった場合、 更なる強行手段をとる任を持っていたとされる。この話がもし本当なら、一個中隊にも満たない兵力を率いた、 一人の若い中尉がその責に耐えてそんな任務が遂行可能かどうかを冷静に考えると、ここにも2.26蹶起軍将校全体に流れる 「たら、れば、筈」を感ずる。
 また、他の説では、中橋中尉の任は、坂下門の確保のみで、確保したら直ちに警視庁に待機している蹶起軍主力を招き入れ、 更に陸海のシンパ高官を立てての帷幄上奏隊を編成、これを護衛するという計画であったという。 これはすなわち『昭和維新』であるが、これにも前者にも増した「たら、れば、筈」があるように思われる。




歩兵1、3聯隊へ戻る目次に戻る 坂井隊 斎藤邸へ